「オメガの発情を煽る香を焚き、ペニスを戒めて射精をコントロールするのです。そうすれば、レオナール様に服従します」
「それも面白そうだが……このような下品なメス犬を飼ったところで、オレに利はあるのか?」 「もちろんです。レオナール様」 従者が醜悪な笑みを浮かべながら答えた。 「特別なお客様へを招き、見世物として披露なされば良いのです」 「おお! それはいい!」 レオナールの顔が輝いた。 上機嫌な顔で杯を煽り、ニヤニヤと笑う。 「帝国には、このレベルのオメガは滅多にいないと聞くからな」 「仰る通りです。『聖樹』は我が国の特権ですから。皆が崇める『聖樹』を檻に入れ、淫らに喘ぐ姿を観賞できるとなれば、大金をはずむでしょう」 「ああ。どこの国にも、そういう趣向の奴はいる」 レオナールは愉快そうに笑い、エマを見下ろす。 「いずれ婚約破棄した後に、適当な罪を押しつけ、そのうえで引き取れば、オレの評判も上がる」 「さようでございます。実行には少し時間がかかりますが……罪を犯した元『聖樹』にさえ慈悲を与える王族として、レオナール様は民に称えられるでしょう」 「そしてオレは、賞賛と、帝国への強力なカードを手に入れる。そうだな?」 「はい、レオナール様。コレが卑しい平民であろうと、他国の者には分かりませんから、『聖樹』としての価値は問題ありません」 「お前の案、気に入ったぞ」 「ありがとうございます」 従者が恭しく頭を下げる。 レオナールは満足げに頷き、また酒をあおった。 「ッ……ぁっ」 エマはディルドを握る手を止め、二人の会話に戦慄していた。 (殿下は、私を婚約者どころか……同じ人間とすら思っていない) 平民として暮らしていた幼い頃さえ、このように酷い扱いを受けたことはなかった。 「おい、手が止まってるぞ?」 エマの様子に気付いたレオナールが、酒に赤らむ顔で咎める。 「メス犬のくせに、生意気な目だっ」 「レオナール皇太子と別れたルシアンを案内することになり、エマは密かに浮かれていた。 皇太子に付き従っていた側近たちはみな厩舎へ向かったので、この場に残ったのはルシアンとエマだけだ。王国側の人間は、王太子付きの若い秘書官と護衛騎士が一人ずつ、帝国側の人間は、ルシアンの従者と書記官が一人ずついるだけで、かなりの少人数である。 (皇太子殿下があちらに行かれてよかった) 本当はこんなこと思ってはいけないけど、ルシアンと一緒にいられるのが嬉しくて、つい頬が緩む。 さっそく王立美術館へ向かおうとしたが、後方に控えていたナタリナがエマの側へ寄った。 「失礼致します。エマヌエーレ様」 「ナタリナ?」 ナタリナは顔を近づけ、小声でそっと囁く。 「エマ様。お疲れのご様子とお見受けいたします。少しお休みになってくださいませ」 「大丈夫だよ、ナタリナ」 「ですが、皇太子殿下もいらっしゃいませんし、デイモンド伯爵なら休憩を申し出ても受け入れてくださるのでは」 「ナタリナ……」 エマを心配するナタリナの気持ちはありがたい。 だけど、エマはルシアンの望みを叶えたくて、首を振って微笑んだ。 「これくらいは大丈夫だから。ありがとう」 「エマ様っ」 「下がって、ナタリナ」 エマの言葉に、ナタリナはしぶしぶと頷き、後ろへ下がった。 後でお小言をもらうだろうなと思いながら、ルシアンを見上げる。 「デイモンド伯爵、お待たせしました。今からご案内致します」 「いえ、待ってください」 「?」 ルシアンは口元に拳をあて、思案するようにエマを見下ろす。 そしてすぐに、優しい笑みを浮かべた。 「王立美術館は、とても広いのでしょう」 「はい」 「できれば、一日かけて見て回りたいのです。案内は後日にして、今日は庭園でお茶を振る舞ってくれませんか?」 「えっ? お茶ですか?」 「ええ。王族の方々や聖樹の皆様は、王宮の庭園でアフタヌーンティーを楽しまれ
その刹那、気の緩みを見透かしたように、皇太子がふと口を開く。 「ダリウ殿下の奥方は、体調が優れぬそうだな」 「は、はいっ。皇太子殿下」 エマは姿勢を正し、あわてて答えた。 「王太子妃殿下はご体調を崩されやすく、たびたび静養が必要となりますため、本日は王太子殿下がお傍に付き添っておられます」 エマの答えに、皇太子はわざとらしく肩をすくめた。 「客人を放って、奥方の看病とは。ずいぶんと、愛妻家でいらっしゃるようだ」 「はい。王太子ご夫妻は、たいへん仲睦まじくございます」 胸が詰まる思いでそう告げると、エマは深く頭を下げた。 「決して、皇太子殿下を蔑ろにしているわけではございません」 すると皇太子は、からかうように笑みを浮かべる。 「そう固くなるな。冗談だ」 ようやく冗談を言われたのだと分かって、エマは胸の内で安堵の息を吐いた。 エマが顔を上げると、皇太子の後ろに控えているルシアンが、柔らかい眼差しを向けていた。 (ルシアン様っ) 胸の奥がトクンと高鳴り、頬が熱くなる。 だが、ルシアンへの思慕を悟られてはいけない。 エマは努めて平静を装いながら口を開いた。 「もし差し支えなければ、紅薔薇(べにばら)離宮よりご覧いただいてはいかがでしょうか。遠方よりお越しの客人には、特にご好評をいただいております」 「ふむ。良いだろう。案内せよ」 皇太子の短くも威厳を湛えた返答に、エマは恭しく一礼する。 「かしこまりました、皇太子殿下」 エマは案内役としての務めを果たすべく、ルシアンから視線を逸らした。 +++ 王宮にはいくつかの離宮があるが、紅薔薇離宮はその中でも特に華やかな場所だ。 外壁から内装に至るまで、一級品のルビーやサファイヤが惜しみなく使われ、それらで造られた薔薇も、至る所で美しく輝く。 金の装飾や、宝石の薔薇が光を受けてきらめく空間は、ま
ルシアンの瞳はルビーのように煌めいて、いつも優しくエマを見つめるのに。 (あっ。今日はルシアン様もいらっしゃるかな?) エマは懐に手を当て、忍ばせた小さな袋を確かめた。 ルシアンへのお礼にと、朝のうちに急いで用意したお守りの袋だ。 今日は王太子もレオナールもいないので、隙を見て渡せるかもしれない。 (ルシアン様っ) 昨夜の、甘い眼差しと、体に触れた手を思い出すと、奥がきゅんと疼く。 中に入った静香石が、クルンと動いて、思わず震えた。 「ッ……ダメ」 思い出すと躰が熱くなってしまう。 せっかく熱が下がったのだから、仕事に集中しなくては。 エマは気を引き締めると、皇太子が滞在する天耀宮(てんようきゅう)へ向かった。 +++ エマは『聖樹』専用の法衣のうち、準礼装の法衣を選んで身に纏った。 正礼装と同じく、くるぶしまでの長さがあり、袖口や襟元に金の縁取りがされ、銀糸でさりげなく刺繍が施されている。昨日のパーティで着たのと同じ格式の法衣だ。 そして、他の『聖樹』の準礼装に比べたら、まったく飾り気のない法衣である。 (恐れ多くも、皇太子殿下をご案内する役目を仰せつかったのに……僕だけ見劣りするんだろうな) 控えの間で待ちながら、エマは暗い顔でため息をついた。 エマのすぐ後ろには、先ほど王太子からの文を届けてくれた筆頭秘書官と、身なりの整った若い書記官、それに騎士団長の姿が控えていた。 みな、家格や役職に相応しい身なりをしているのに、エマだけがあまりに質素だ。 (……しっかりしなくちゃ) 『聖樹』であること以外に何の価値もない自分は、こういうときこそ『聖樹』の役目を立派に務めなければ。 「エマヌエーレ様」 筆頭秘書官に呼びかけられ、顔を上げる。 彼は中年の男性で厳めしい顔をしているが、思いがけず優しい声で話しかけてきた。 「私は、王太子殿下よりエ
翌朝、エマが目覚めると、熱もなく体もスッキリしていた。 ルシアンにもらった鎮静剤は、抜群の効果で、エマは驚きと喜びでいっぱいだった。 「ナタリナ、体が軽くなったみたい」 「良かったですね。エマ様」 「うんっ」 念のため、静香石を使ってフェロモンを抑え、今日の接待に向けて準備していた。 レオナールからは予想通り、体調不良の文が届いた。それも本人ではなく、秘書官が代わりに書いたものだ。 エマに仕事を押しつける内容を受け取り、ため息をついたのもつかの間、続けて王太子の筆頭秘書官がやってきて、思いがけない事態になった。 侍女長に呼ばれ、急いで本館の控えの間へ赴いたエマは、王太子からの文を受けとって、驚きのあまり立ち尽くす。 なんと、王太子が今日の公務を休むというのだ。 「王太子殿下は、お越しになれないと?」 「さようでございます。本日の接待は、弟君レオナール殿下に一任される予定でしたが……」 秘書官は言葉を切り、エマの後ろに控えていた侍女長を冷ややかに見つめる。 「どうやらレオナール殿下も、体調が思わしくないご様子。王太子殿下は、エマヌエーレ様に一任されると仰せです」 「わ、私が、皇太子殿下の案内役をっ?」 「エマヌエーレ様には、誠に申し訳ないと仰せでした」 「いえっ。とんでもないことです」 慌てて首を振り、謹んで承ると伝えた。 王太子が公務を取りやめるなど、本来ならあり得ない。 だが、渡された文には、王太子妃の容態が悪く、看病のために休むと書かれていた。 まだ正式に発表されていないが、王太子妃は第四子を妊娠している。王太子夫妻は揃って式典に出席したが、そのせいで無理がたたったのだろう。 (王太子妃様は、あまりお体が丈夫じゃないから) それに、王太子は正妃をとても大切にしている。 容態が回復しても、今日はずっと側で付き添うことだろう。 エマは、急な大役が回ってきたことに、軽くめまいがした。 事の次第を聞いた本
ルシアンは自嘲気味に呟き、テーブルにおかれた書類を手に取る。 部下から上がってきた報告書だ。 今回、ランダリエに赴いたのも、帝国に損害をもたらす重要な問題が発覚し、その調査を内密に行う為だった。 ここにいる間、王室の人間はティエリーを注視する。その裏で、ティエリーの側近は王国の貴族達と関わりを持ち、身分を隠した部下達が、密かに王都へ繰り出して情報を集める。 その為、皇太子であるティエリーが直接ランダリエ王国を訪れたのだ。 ルシアンは報告書に目を通しながら、貴族達の利害関係や所有する財産、投資先の情報を確認していった。 夜半を過ぎた頃に、ティエリーがやってきた。 酒臭い匂いに眉をしかめるが、ティエリーの顔を見れば、大して酔ってはいない。 ルシアンの向かいの椅子に腰掛ける。 侍従も付けずにふらっとやってくるのは、いつものことだ。 ティエリーは笑みを浮かべ、いつもより陽気な口調で問いかけてきた。「ルシアン。首尾はどうだ?」「あの婚約者なら問題ない。まだ番っていないからな」「それは朗報だ。情報は聞き出せたか?」「『聖樹』のことなら少し聞いた。……『聖樹』からは、アルファかオメガしか生まれなそうだ」「ほう? ベータは生まれないのか」「その点だけ、普通のオメガとは違うようだ」「他には?」「王族と側妃との間にベータが生まれたら、臣下に下る。だから妃以外の王族はアルファしかいないそうだ」「なるほど」 ルシアンの話に相づちを打ち、ティエリーはさらに問いかける。「それだけか?」「ああ」「お前、あの婚約者を追ってパーティを抜けただろう?」「話をする状況ではなかったんだ」 ルシアンは視線を逸らす。 大広間には、ルシアン以外にもティエリーの側近や部下が参加していた。情報収集のためお互いの動きに注意していたから
実は、エマには自由にできるお金がない。 王族の婚約者には王室費が割り当てられているが、そのお金はレオナールの許しがなければ勝手に使えないのだ。 エマを使用人用の離れに閉じ込めて冷遇するレオナールが、贈り物を買うお金など渡してくれるはずがなかった。 「エマ様が贈り物をされることも、あの男の耳に入ると厄介ですからね。お気持ちだけの、目立たない、小さなものがよろしいかと」 「小さいものかぁ」 「そうですわ。エマ様は『聖樹』ですから、祈りの言葉などはいかがですか? 『聖樹』のお守りだと言ってお渡しすれば、あちらも受け取って下さるでしょう」 『聖樹』は神殿に入り、神官と同じように過ごす。毎日身を清め、礼拝と祈りを欠かさずに過ごしてきたエマは、神官同様に、神の加護を受けた存在として扱われる。 親しい人や世話になった方へ、祝福や祈りの詩を贈るのは貴族にとって普通のことだ。『聖樹』が贈るものは特に喜ばれるので、頼まれて詩を書いたことは何度もある。 「僕の書いた詩で、喜んで下さるかな?」 「帝国にも似たような習慣があると聞きます。『聖樹』のお守りですから、きっと喜んで下さいますよ」 ナタリナは励ますように、笑顔を向ける。 詩を書いて渡すくらいなら、もしレオナールに見つかってもうるさく言われることはないだろう。 「じゃあ、祝福の詩にする。ナタリナ、紙とペンを出して」 「いいえ、エマ様。今宵はもうお休み下さいませ」 「でも、ちょっとだけ」 「今日は朝からずっと働き通しで、お疲れになったでしょう。明日も朝が早いですから、お休みになって下さい」 目をつり上げ、怖い顔で睨まれては、エマも降参するしかない。 大人しくベッドに入って横になった。 「ナタリナも、早く休んでね」 「ええ」 ナタリナが毛布を肩までかけて、優しく背中を撫でた。 エマが眠るまで、側にいてくれるのだ。 横になると、体がズシンと重たく感じる。 ナタリナの言うとおり、ずっと働きづめだったからだ